今ふっと思った
人間は考える葦である
の葦は
弱々しいものの例えではなくて
空洞という意味だと思う
それはずーっと以前から思っていたけれど
今思ったのは
人間は生きるために
空洞に空気や食べ物を通して
受け取ったり渡したりしているから
精神的にも
コミュニケーションというやり取りが
生きるのに不可欠なんじゃないか
という仮説
人間の本質は
何もない空洞だった
というのが面白いでしょ?
だから
一人で生きていたって
生きる幸せを感じづらい
他者とコミュニケーションすることによって
初めて
真に生きていると感じられる
風の通った葦たちが
パンフルートとして
美しい音になるように
他者とのやりとりで生まれる
存在という不思議な共鳴の響き
鼓動を止めようとするとき
誰かの鼓動で生かされることもある
だから一人で思い詰めずに
ちょっとしたことでも
気軽に話せる場所があれば
たとえばお金の問題で
命を失うようなことは
なくなるのでは
参ってしまう前に
できるだけ早く
今日もありがとう
厳寒期は続く
また明日
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